2016年10月04日
「昔はなし」その83 豊橋にきた酒
豊橋にきた酒
酒らしい酒として豊橋で売出された最初は
「猿若」でした。酒つぼはどこの店でも一定し
ていて、一本二銭五厘(二合)でした。四斗
樽で四円の猿若ですから、これを商売屋が
三百本とると七円五十銭になり一樽で三円
五十銭の利益でした。
そのうちに「日本堤」が入ってきたが値段
が倍の樽八円になりました。一本四銭に売
ったが、これでは利益がうすいとこぼしたも
のです。それから「白鹿」が樽十二円ではい
り、一本六銭に売りました。十八聯隊ができ
るころ桜正宗(樽二十五円、 一本二十五銭
売)とか菊正宗、鶴正宗(樽二十五円、一本
三十銭売)が出て、酒はどんどん値上りしてき
ました。昔は商売屋は酒はタルの値段の倍に
売ったものです。その代り、料理の方では余り
儲けませんでした。昔の商売屋は酒を売って
息をついでいたわけです。
酒らしい酒として豊橋で売出された最初は
「猿若」でした。酒つぼはどこの店でも一定し
ていて、一本二銭五厘(二合)でした。四斗
樽で四円の猿若ですから、これを商売屋が
三百本とると七円五十銭になり一樽で三円
五十銭の利益でした。
そのうちに「日本堤」が入ってきたが値段
が倍の樽八円になりました。一本四銭に売
ったが、これでは利益がうすいとこぼしたも
のです。それから「白鹿」が樽十二円ではい
り、一本六銭に売りました。十八聯隊ができ
るころ桜正宗(樽二十五円、 一本二十五銭
売)とか菊正宗、鶴正宗(樽二十五円、一本
三十銭売)が出て、酒はどんどん値上りしてき
ました。昔は商売屋は酒はタルの値段の倍に
売ったものです。その代り、料理の方では余り
儲けませんでした。昔の商売屋は酒を売って
息をついでいたわけです。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし