2016年10月03日

「昔はなし」その82 知らん新町瓦町

知らん新町瓦町

 昔はよく「知らん新町、瓦町、焼いてたたいて
赤ちんぼ」などと唄われました。「知らん新町瓦
町…」
 当時の新町附近は藪が多く家は点々として、
巡礼、六部、虚無僧、こじきなどが泊りました。
 囲ろ裡をかこんで、タバコ盆もない、ふとんも
借さない、雨露をしのぐだけの宿です。食事は
方々の家からもらってくるものですませます。
一晩一銭か二銭のごろ寝の宿です。
 なかには路傍で猫、犬、鶏などを殺してきて、
それを囲ろ裡で焼くものですから、付近の家で
は、その匂いがたまらないといって文句をいう
わけです。
 すると「いや、それは瓦町の木賃宿だ」と言わ
れるので瓦町の方へ交渉すると「いや、それは
新町だ」という、そこで「知らん新町瓦町」となっ
てきたのです。焼いてたたいて…」は犬の肉な
どを焼いても「赤ちんぼ」はなかなか焼けなか
ったからでしょう。
 「藪から棒だす賢養院」という歌は、今とちが
って、昔のお寺の地境などは塀などもなく、藪
が境になっていたところも多かったものです。
上伝馬辺の若い衆が遊びに出て、帰りがけ
に、お寺の境内を汚していくのです。それを
お寺の方でも、もてあまして寺男が一策を案
じ、夜遊びの若い衆がそろそろ帰りかけるこ
ろ、藪の中で待っていたんですね。それとは
知らぬ若い衆が藪の中を通りかけると「こらッ」
と藪の中から棒をつき出しておどしたんです
よ。それから「やぶから棒だす賢養院」となっ
たものです。
 も一つ「いらぬお世話の全久院」ですが、
全久院の境内に、今ならパンパン、昔の「も
か」が大勢住んでいました。
 この連中が天気のよい日は洗濯物をズラリと
干します。全久院でも、お寺に赤や桃色の派手
な色合いの洗濯物がならぶのが気になって、
乾いたものからどんどんしまってやっておりま
した。はじめは「ごくろうさん」と女連中は礼を
言っていたんですが、だんだん全久院の方で
とりかたづけてくれるのが普通だと考えるよう
になりました。寺男の方でも、礼も言ってもら
えないと、つい口に出て「外から見た目に見ぐ
るしいから」と注意すると、こんどは女の方か
ら「いらぬお世話だ」とにくまれ口をきくように
なって、ついに「いらぬお世話の全久院」とな
ったわけです。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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