2016年10月01日
「昔はなし」その80 親の足腰をもむ万久
親の足腰をもむ万久
原田万久も偉い人物でした。湊町のタバコ屋
で関屋の河岸から上って湊町へ行く角から一
軒おいたところに製煙社というのをつくりました。
万久は市会にも出たが私慾のない人で、しか
も無類の親孝行でした。豊橋の代表的な名士
だけに夜おそくまで用事が多く、帰宅が夜更け
になって家へ戻ると、すぐに親爺の足腰をもん
で、それから床にいるという風でした。
だが、自分の正論はどこまでも主張するとい
った型の人で意見が合わないと相手を屈服さ
せるまで議論をやめませんでした。豊橋のた
めに力を尽した人でした。
万久の建てた製煙社と云うのは、万久が一
人で葉煙草を買込み、これを同業者に入用だ
けを分け、代金は収入の都合で後金として製
煙社へ納付させるという、たいへん好都合に
なっていたので一般の同業者は喜び万久を恩
人のごとく考えていました。
「郷土豊橋を築いた先覚者たち」より原田万久

原田万久も偉い人物でした。湊町のタバコ屋
で関屋の河岸から上って湊町へ行く角から一
軒おいたところに製煙社というのをつくりました。
万久は市会にも出たが私慾のない人で、しか
も無類の親孝行でした。豊橋の代表的な名士
だけに夜おそくまで用事が多く、帰宅が夜更け
になって家へ戻ると、すぐに親爺の足腰をもん
で、それから床にいるという風でした。
だが、自分の正論はどこまでも主張するとい
った型の人で意見が合わないと相手を屈服さ
せるまで議論をやめませんでした。豊橋のた
めに力を尽した人でした。
万久の建てた製煙社と云うのは、万久が一
人で葉煙草を買込み、これを同業者に入用だ
けを分け、代金は収入の都合で後金として製
煙社へ納付させるという、たいへん好都合に
なっていたので一般の同業者は喜び万久を恩
人のごとく考えていました。
「郷土豊橋を築いた先覚者たち」より原田万久

Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし