2016年09月30日
「昔はなし」その79 おびんずる様になる
おびんずる様になる
三浦碧水が私の家で客を招くことになりまし
た。私が「客は何人ですか」というと「二百人
だ、余興に能狂言をやってくれ」というのです。
「どこでやるつもりですか」「君のところの座敷
だよ」「座敷でやれば客の座る場所がなくなり
ますよ、三組の折詰にしても配膳ができませ
ん」「ならばるだけ、ならべたらよい」に私が「二
百人は座れません」「座れぬ客は立っていたら
よい」「立たせておけぬ客もあります」「その人
は帰る以外に方法はないではないか」
こんな会話を交したことがありますが、こま
かいことを考えるのが嫌いな人でしたよ。
三浦碧水が亡くなってから生前の彼を慕う有
力者で銅像をつくりました。瓦町の不動院の塀
の一部をこわして建てました。除幕式も盛大に
行われました。銅像といっても三浦碧水のは誰
の銅像かわからないほど似てもにつかないも
ので、「おびんずる様」としか思えませんでした。
今、その銅像がどうなったかは知りませんが、
その頃、私はあそこを通るたびに「三浦さんも
おびんずる様になってしまって」と気の毒にな
ったものでした。
三浦碧水が私の家で客を招くことになりまし
た。私が「客は何人ですか」というと「二百人
だ、余興に能狂言をやってくれ」というのです。
「どこでやるつもりですか」「君のところの座敷
だよ」「座敷でやれば客の座る場所がなくなり
ますよ、三組の折詰にしても配膳ができませ
ん」「ならばるだけ、ならべたらよい」に私が「二
百人は座れません」「座れぬ客は立っていたら
よい」「立たせておけぬ客もあります」「その人
は帰る以外に方法はないではないか」
こんな会話を交したことがありますが、こま
かいことを考えるのが嫌いな人でしたよ。
三浦碧水が亡くなってから生前の彼を慕う有
力者で銅像をつくりました。瓦町の不動院の塀
の一部をこわして建てました。除幕式も盛大に
行われました。銅像といっても三浦碧水のは誰
の銅像かわからないほど似てもにつかないも
ので、「おびんずる様」としか思えませんでした。
今、その銅像がどうなったかは知りませんが、
その頃、私はあそこを通るたびに「三浦さんも
おびんずる様になってしまって」と気の毒にな
ったものでした。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
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