2016年09月29日

「昔はなし」その78 火鉢を割りかけた碧水

火鉢を割りかけた碧水

 三浦碧水は豊橋市の発展のために、政治、
経済、産業の多方面に尽くした人でした。三浦
の祖先は、例の長篠役の勇士鳥居強右衛円で
はなかったかと思うのです。というのは、三浦
が六十一歳の還暦い祝のおりに、床の間にか
けられておるものが強右衛門に関したものが
多かったことなんです。はりつけになった強右
衛門の姿も軸になっていました。
 忙しい人で朝から晩まで飛び歩いていまし
た。外で昼飯、夕飯が出ても、事業の話など
に夢中になると、ハシがあつても、手でつまん
でものを食べるといった愉快なくせがありまし
た。その、ものをつまんだ手を着物へぬりつけ
るので、いつも着物の膝頭が光っていました。
奥さんが困ってしまって腰に手ぬぐいをさげさ
せるのですが、相かわらず汚れた手を膝へぬ
りつけていました。
 三浦碧水が高橋小十郎のところへ行ったとき
の話です。この高橋小十郎は代議士に出た方
の高橋で、市長になった方の高橋ではありま
せん。ここでも三浦は仕事の話しに夢中になっ
てしまい、真ちう製の「なたまめきせる」でポン
とやろうとしたとき、高橋は青磁の立派な火鉢
が出ているのに気付いて、両手でひょいと、火
鉢を横へやってしまいました。すると、三浦は
ポンとやろうとしたきせるを宙に浮かしたまま、
まだ喋っているのです。高橋が「おい、おい、
木の火鉢をもってこい」と女中を呼んで三浦の
横へそれを据えてやると、はじめてポンとたた
いたんですが、火鉢をとりかえられたことも、
いっこう気づかぬ様子でした。三浦というのは
そういう男でした。あとで高橋が「火鉢を割ら
れるところだったよ」と笑って話していたこと
がありました。


「郷土豊橋を築いた先覚者たち」より三浦碧水

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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