2016年09月25日

「昔はなし」その74 キづくしの落首

キづくしの落首

 油世古に銭湯ができてから、また三、四年経
って元の郵便局のとなりに風呂屋ができました。
こんどはランプがともされ、油世古より明るい
風呂屋でした。だから風呂屋へ行っても、相手
に挨拶が交せるようになりました。当時は大人
が二銭、子供一銭と少々値上がりになりました。
 油世古の風呂屋のできた頃は落首が豊橋で
も流行っていました。落首というのは今の人は
知らないが、秀吉が朝鮮へ行くと言ってなかな
か出かけないとき
   太閤が米を一石買いかねて今日も御渡海
   (五斗買い)明日も御渡海(五斗買い)
 といった具合に政治に対する庶民批判であり
ました。やはり、昔の落首ですが近衛公が大井
川の川止めにあって一週間も滞在したとき土
地の人は
   近衛様下から読めばヘノコなり、ブラブラ
   せずと早くお立チヤレ
 などというものもありました。
 つまり、こういう落首が豊橋でも流行ってきました。
 油世古の風呂屋の前に木村屋という繁昌す
る「めしや」がありました。今でいう料理屋で
す。また札木の通りに木原屋という女郎屋があ
って、その主人がどういう理由か、誰のためか
よく知りませんが木村屋の前で顔をかきむしら
れたとか、斬られたとかいう評判が市中にばっ
と立ちました。 どうもお色気の方の結果ではな
かったかと存じます。
 そこでその落首が市中に出されたので、町の
人のなかの物好きがわいわい騒ぎ落首となり
ました。
   木村屋の前できられた木原屋のきられた
   顔が奇妙きてれつ
つまり「きづくし」でやつたわけです。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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