2016年09月15日

「昔はなし」その64 ハシをつけぬ殿様

ハシをつけぬ殿様
 
 毛利元昭なる殿様については想い出はいく
つもございます。
 食事ですが、御膳を出すと、いつも汁だけを
手につけて他の馳走には全くハシをつけられ
ないのです。
 驚いたり心配して御附女中に話すと「そんな
筈はないが……」と不審そうな顔付です。いろ
いろ話をしているうちに御附女中さんが、合点
できたというような顔附でつぎのように語りまし
た。
 「つまり、お殿様はいつもお食事のときは御
給仕の者が、つぎつぎと御馳走を手にとって、
さあ、これへハシをおつけなされませといつた
格構でおすすめしているのです。ところがこち
らでは、宿の女中さんがじっと座って御飯のお
代りを待っているだけなので、御殿様はどれ
ヘハシをつけてよいのか判らず手近な汁だけ
ヘハシをつけられたのでしょう」
 毛利新田のころは、いろいろな人物が往来し
ました。毛利の殿様のあとで弟の毛利五郎が
高田真蔵の息子を連れてきました。この息子
は天下の糸平とうたわれた、当時の大成金の
息子でした。
 五郎は私の家へ来ると「僕は兄とちがって
書生だからね殿様扱いは困るよ」という挨拶
でした。何しにきたかというと、牟呂方面へ
の猟にきたわけで、大きな犬を五匹もつれ
てきました。
 着くなり「牛肉五斥ほどすぐほしい」という注
文です。つまり、五匹の犬に一斥ずつ喰わせ
るんです。このとき、持ってきた荷物が全部で
廿八こうりには驚きました。これではちょっとし
た引越しです。その荷物をズラリと座敷へひろ
げるんですから大変です。こんなぜいたくな鴨
猟の客を扱ったのは最初にして最後でした。


ウィキペディアより 毛利五郎

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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