2016年09月10日

「昔はなし」その59 村田銃の村田大佐

村田銃の村田大佐

 毛利新田をやっているころ、いろいろな人が
きましたね。つまり視察にきたんです。当時の
有名な井上馨を始め榎本武揚などもきました。
そのとき伊集院兼輔は表も裏も銀狐の外とう
を着てきたのには驚きました。といって、豊橋
ではまだ銀狐の価値などはわからぬ時代で、
ただずいぶんピカピカした外とうぐらいに思っ
ていました。
 話はちがうが、例の村田銃の発明者の村田
大佐が明治十九年か二十年頃、十八連隊を視
察にきたときは、先生の外とうの裏は全部がラ
ツコでしたよ。これはまた大したものだと私は驚
いたことがあります。
 また十八連隊にいた神戸大尉というのはラッ
コのシヤッポをかむっていましたが、これも今
の相場にしたら大したものでしょう。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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