2016年09月07日

「昔はなし」その56 毛利新田の二号さん

毛利新田の二号さん

 神野新田ができる前に、毛利新田があったこ
とは一般にはあまり知られていませんね。毛利
新田がどういう目的でつくられたかは知りませ
んが、牟呂の海を埋めて毛利新田をつくるた
めに集ってきた人はすべて長州の人でした。
 その費用なども、私にはわからないが廃藩に
よる士族たちが、金をもちよってのことと開いて
います。
 この新田開拓の事業の事務のやり方という
のが、事業というより、お祭気分でした。最初
の事務長は白井という長州人で、なかなかは
いからな男でしたが、しまいには二号をつくっ
たりしました。
 その二号というのは菊岡という女郎屋にいた
芸者で奴という妓でした。とてもの美人で侠気
にとみ、誰からも好かれていました。ところが白
井の妻君は今でいうノイローゼ気味になって一
悶着ありましたが、妻君もしまいにはあきらめ
ていたようです。



「郷土豊橋を築いた先覚者たち」より
毛利祥久

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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