2016年09月05日
「昔はなし」その54 坪三銭の払下げ
坪三銭の払下げ
呉服町を右へどんと突きあたり、左へ突きあ
たってから北へ曲がったところが八軒町でした。
その八軒町の角に近藤という雑貨屋がありま
した。
当時、旧吉田城の外堀(呉服町の裏にあっ
た)の堤防の払下げが行われたが、タダでも貰
い手のない時分ですから、近藤が坪三銭で払
下げをうけました。
どうしてタダでも人が嫌ったかというと、大木
が亭々とそびえていて、それを切って平地にす
ることは大へんだったからです。今なら木材だ
けでも高価ですがね。
その三銭で払い下げをうけた堤防をこんどは
近藤が……シヤレではありません……札木呉
服町の人に六銭から六銭五厘で売るようにな
ったのでした。つまり近藤は倍に売ったわけ
で、いい値になったとみんなが羨しがったこと
があります。
今の人から見ればたわいもない話でしょう
が、当時としては評判の金もうけ話でした。
呉服町を右へどんと突きあたり、左へ突きあ
たってから北へ曲がったところが八軒町でした。
その八軒町の角に近藤という雑貨屋がありま
した。
当時、旧吉田城の外堀(呉服町の裏にあっ
た)の堤防の払下げが行われたが、タダでも貰
い手のない時分ですから、近藤が坪三銭で払
下げをうけました。
どうしてタダでも人が嫌ったかというと、大木
が亭々とそびえていて、それを切って平地にす
ることは大へんだったからです。今なら木材だ
けでも高価ですがね。
その三銭で払い下げをうけた堤防をこんどは
近藤が……シヤレではありません……札木呉
服町の人に六銭から六銭五厘で売るようにな
ったのでした。つまり近藤は倍に売ったわけ
で、いい値になったとみんなが羨しがったこと
があります。
今の人から見ればたわいもない話でしょう
が、当時としては評判の金もうけ話でした。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし