2016年09月04日

「昔はなし」その53 遠藤さんと政治

遠藤さんと政治

 大口喜六さんと対立した遠藤安太郎さんにつ
いては、私はいろいろな記憶をもっています。
遠藤さんは何とかして大口さんの右に出たいと
いうのが日常の念願のように思われました。
 大口さんは三浦碧水などを始め有力者多数
を傘下にもち、遠藤さんは一般中流階級の中
に喰い入ろうとして資産もあったので、特別な
サービスにつとめていました。
 そのころ前田正名という高官の間をわたり歩
く男がいましたが、遠藤さんはこの男を抱きこ
んで松方正義にとりいろうとしました。そのため
前田正名の講演会などを催して外国事情など
を語らせたが大衆にはピンとこなかったようで
す。
 そして前田の批判もぼつぼつ出るようになっ
たので、遠藤さんは憤慨して三大事業を発表し
ました。それが商品陳列館、豊橋ホテル、豊橋
商業学校の三つの建設でした。
 さて遠藤安太郎は三大建設を発表したが、そ
のためには資本が必要となりました。そこでタ
バコの専売(卸)をやろうとして前田正名からそ
れぞれの要所に運動してもらったようでした。
学校創立のおりは松方正義の書いた校旗など
がひるがえっていました。
 さて、タバコの方は豊橋に二軒の専売がすで
にあったが遠藤は強引にこれをやめさせてし
まいました。タバコの方は順調にいったが、自
分の寿命がつづかなかったのは気の毒でした。
 ところで、この遠藤はいつも岡田屋旅館や私
を大口派とみて、豊橋ホテルをつくるのは岡田
屋旅館を排撃するため、ホテルに料理部をつく
るのは千歳楼排撃のためだと公言していました。
 私が「あなたは岡田屋や千歳楼排撃のため
政治をやられるのか」というと「それは個人の
自由だ」という挨拶でした。そこで私も「あなた
は私らを排斥されるが、あなたなどは私の眼中
にはない」と言ったこともありました。



「郷土豊橋を築いた先覚者たち」より
大口喜六

遠藤安太郎

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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