2016年09月01日

「昔はなし」その50 重箱めしの思い出

重箱めしの思い出 

 重箱めしというのを中年の人は覚えていると
思います。札木町から曲がったところに利(と
ぎ)町というのがあって、そこに重箱めしがあり
ました。
 きく宗の「でんがく」と同じような労働者で賑わ
ったものです。通人の中村道太なども、豊橋へ
戻ってくるとわざわざ重箱めしを喰いに行った
ものです。うどんの伊勢重へ茶めしが盛ってあ
ります。大量に炊くのだから美味しいのです。
里芋豆ふから、コンニャク、サバなどが煮てあ
って好みのものをもらうのです。
 そこで酒を飲む客は店では酒を売らないの
ですぐ前の大津屋まで客が買いにいくのです。
大津屋で酒つぼを貸してくれるので、それを
重箱めし屋でかんをしてもらうのです。それか
ら貸しつぼという名が生まれたくらいです。
 つぼは黄味を帯びた瀬戸焼でを黒い輪のす
じが全体にはいっていました。芝居などでよく
客がお茶子に「おい貸しつぼ一本」というのは
「酒をくれ」ということになりました。それほどに
貸しつぼの名が一般化されました。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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