2016年08月31日
「昔はなし」その49 梅巖はじめ僞作者たち
梅巖はじめ僞作者たち
鈴木梅巖という画家がいました。市町村制が
しかれたとき豊橋町の町会議員 にもなりまし
た。この男が町会で立ちあがると必ず議長に
休憩を求めるので休憩議員の「しこ名」があり
ました。花園町にいました。
はじめ梅巖は四条流のなかなかよい腕をも
っていましたが、次第に偽筆がうまくなり崋山
の名でどんどん描きました。浄円寺の印じゅう
の水野耕雨という人も、どしどし模写して巧み
でした。小華の弟子の華石は、少年の頃は小
華の玄関番だったが腕も上がるし、小華の信
用もあったので、華石の箱書さえあれば小華
の作品として許されていたくらいです。この華
石は、小華の偽作をいくらでもやりました。後
に小華の養子みたいになった人です。
青涯は岡崎青涯、速州青涯と両方にいました
が、遠州青涯は華山の偽作者として有名にな
りました。買う者が悪いわけでこれらの偽作者
は誰からも叱られないで世を終りました。
鈴木梅巖という画家がいました。市町村制が
しかれたとき豊橋町の町会議員 にもなりまし
た。この男が町会で立ちあがると必ず議長に
休憩を求めるので休憩議員の「しこ名」があり
ました。花園町にいました。
はじめ梅巖は四条流のなかなかよい腕をも
っていましたが、次第に偽筆がうまくなり崋山
の名でどんどん描きました。浄円寺の印じゅう
の水野耕雨という人も、どしどし模写して巧み
でした。小華の弟子の華石は、少年の頃は小
華の玄関番だったが腕も上がるし、小華の信
用もあったので、華石の箱書さえあれば小華
の作品として許されていたくらいです。この華
石は、小華の偽作をいくらでもやりました。後
に小華の養子みたいになった人です。
青涯は岡崎青涯、速州青涯と両方にいました
が、遠州青涯は華山の偽作者として有名にな
りました。買う者が悪いわけでこれらの偽作者
は誰からも叱られないで世を終りました。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし