2016年08月29日

「昔はなし」その47 飯村の三角めし

飯村の三角めし

 昔は春の遊びは岩屋以外にはありませんで
した。その岩屋には茶屋もなにもないので、弁
当持参の山ゆきでした。芸者もいく、組合もいく、
消防もいくという具合でした。もちろん、岩屋ま
で歩きでした。その途中に飯村の「三角めし」
という名物がありました。東海道の松並木とな
るところに古い戸板が出されて、それに「三角
めし」がならんでいました。
 つまり「こわ飯」というやつで、白こわに黒ゴマ
入りで三角形ににぎられてあるのです。餅米も
極上で、炊き方も上手で、この路を行く大てい
の人が食べたものです。炎天に天井もなく、街
頭のほこりをいっぱいかむった「こわ飯」ですが、
旅人や岩屋ゆきの客は喜んで口にしたもので
す。明治十一年頃までは店が出ていたようです。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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