2016年08月24日
「昔はなし」その42 きく宗の先々代
きく宗の先々代
きく宗の「でんがく」ですが、あそこの先々代
はなかなかのお茶人でした。髪も茶せん風に
結っていました。当時の「でんがく」は今よりも
巾が狭かったようです。その方が食べよくもあ
り味もたいへんよろしかった。味噌は純赤味噌
でした。
「でんがく」をいれる器(うつわ)は長持(なが
もち)といって長持形の一方へ「でんがく」を串
を抜いて積み、片方へ菜めしがいれてありまし
た。芝居見物などへ持っていくのに昼つめても
らったのが夕方出してもまだほかほかしていま
した。この長持への「でんがく」のいれ方、菜飯
の盛り方などは、相当の茶人でないとできない
技巧が見られました。根が茶人である上に隣
の家が兼子魚典という大茶人だから、私はこ
れは魚典の意見によるものではなかったかと
想像しています。この長持がなつかしく私もこ
しらえてみたが、いまのきく宗にはその雛形は
なく、寸去がわからなくて弱った ことがありま
す。それでもどうにか作って、これをきく宗へ
持っていって「でんがく」と菜飯をつめてもらっ
たことがあります。
きく宗の「でんがく」ですが、あそこの先々代
はなかなかのお茶人でした。髪も茶せん風に
結っていました。当時の「でんがく」は今よりも
巾が狭かったようです。その方が食べよくもあ
り味もたいへんよろしかった。味噌は純赤味噌
でした。
「でんがく」をいれる器(うつわ)は長持(なが
もち)といって長持形の一方へ「でんがく」を串
を抜いて積み、片方へ菜めしがいれてありまし
た。芝居見物などへ持っていくのに昼つめても
らったのが夕方出してもまだほかほかしていま
した。この長持への「でんがく」のいれ方、菜飯
の盛り方などは、相当の茶人でないとできない
技巧が見られました。根が茶人である上に隣
の家が兼子魚典という大茶人だから、私はこ
れは魚典の意見によるものではなかったかと
想像しています。この長持がなつかしく私もこ
しらえてみたが、いまのきく宗にはその雛形は
なく、寸去がわからなくて弱った ことがありま
す。それでもどうにか作って、これをきく宗へ
持っていって「でんがく」と菜飯をつめてもらっ
たことがあります。
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし