2016年08月21日

「昔はなし」その39 豊川参詣と夏目某

豊川参詣と夏目某

 豊川稲荷と言えば花柳界と縁が深いが昔の
豊川参詣は人力車を十台くらい列ねてそれに
芸者を乗せて走らせたものです。参詣はいい
名目で、あとは門前の旅館で飲んで騒いで帰
るといった遊興は当時でも豪華版でした。
 私の家へ名古屋の小間物雑貨の商人が来て
荷をひろげているところへ、心やすくしていた牟
呂の夏目某がふらりとはいってきました。牟呂
の代表的な素封家、ですが、小間物などを眺
めているうちに「その羽織の紐はいくらか」と聞
くと小間物屋が「三十銭」だといいました。
「そりや高い、自分のしているのは二銭五厘だ
った」というので、小間物屋も負けずに「その紐
はいつ買われたものですか」「維新の前に求め
た」「 それとくらべられては困る」なんて押問答
しているときに、入力車のガラガラという異様
に大きな音がしました。
 夏目某は驚いて「あの物音 は」と聞くので
「多分、また豊川参詣の車だろう」と答えている
うちに夏目某は表へ飛び出していきました。
私らには珍しいことでもなかったが二十台から
車をつらねて芸者を乗せていく行列は彼には
もの珍らしかったのでしょう。「どういう人間が、
こんなぜい沢な事をして豊川参詣なぞするん
だい」。と言わぬばかりに彼は車の後を見送
っていると、最後の人力車に、これまた彼の
伜がデンと腰をおろしていたのです。いや、
そのときの夏目某の表情ったら、おかしくも
あり気の毒でもあり、三十銭の羽織の紐ど
ころではなく、真青になってどこかへ去って
しまいました。豊川稲荷のことを思うときは、
そのおりの夏目某の顔が今も忘れられない
で浮んできます。

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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