2016年08月19日

「昔はなし」その37 札木と本町

札木と本町

 本町の華陽の家奈良屋の家の隣りは岩田屋
という金物屋でした。そこの主人の細君は将棋
では豊橋一番の強い人といわれました。岩田
屋の子孫は何でも江島のあたりにおられるよう
に聞いています。
 岩田屋の隣りが小野屋という酒問屋で、この
あたりが豊橋での屈指の立派な家並でした。
この本町にくらべると札木の方は家並もそんな
ではなかったようです。
 それでも二位はやはり札木で、いまの自井
晋介氏の家は札木でも古い方でした。それか
ら、いま魚町にある木瓜屋の先祖も札木にい
ました。あとは女郎屋になった家が多かった
わけで、若松園は今日もありますが、小島屋、
桝屋などの宿は、もう今はありません。桝屋の
子孫は市役所へ勤めているとか聞きましたが、
くわしいことは知りません。
 二流札木につづいては魚町で、いきな人が
揃っていただけに発句、狂歌、川柳、どど逸
などがこの町では流行したものです。



「三河国吉田名蹝綜録」より
「魚市は諸国にまれなる繁栄にして、三河、遠江の浦々又
寒気に向へば駿河国よりも日毎に昼夜時刻を限らず轡の音
たゆる間なく、問屋々々のかどかどは魚を以て山を築しに殊
ならず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「昔はなし」その37 札木と本町


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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