2016年08月15日

「昔はなし」その33 柴田伸吉のこと

柴田伸吉のこと

 柴田伸吉大佐の話をしましたところ、未亡人
ゆうさんは今年七十二才になられ、いたって
元気で、豊橋イズヘイ商店重役専門店協会
事務局長花田正二氏の宅におられたことを、
さる方よりお知らせ下さいました。つまり、花
田さんはゆうさんの四女をめとられていたわ
けです。柴田大佐の長男は早大を出て(現
在二十七才)通産省の機械試験所に勤めら
れているということです。
 柴田大佐の士族屋敷は、現在は全くとり除
かれ、いま瓦屋となっている附近に土塀があ
り、その土塀の一部を瓦屋さんが、白宅の塀
の一部にとりいれて保存しているのではない
かとのお話です。
 八町小学校の校庭に大きなムクの木があり
ますが、これが柴田邸の庭のうしろにあった木
で、いかに広い屋敷だったか想像されます。
 柴田家の先祖と渡辺崋山との間に往復した
書簡もいま残されているそうです。また同日記
事に出ていた石川吉次郎氏は、現在は一心館
裏の前田町に住み、今年七十四、五になられ
るが、やはり元気だそうです。息子さんは医師
で東京の親せきの病院の耳鼻科の部分をやら
れているとか。くわしくいろいろと御教えいただ
いた方に厚く御礼申し上げます。



柴田伸吉 九大コレクションより


「郷土豊橋を築いた先覚者たち」より
柴田善伸

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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