2016年08月13日

「昔はなし」その31 建つていた大手門

建つていた大手門

呉服町の、いま西垣牛肉店になっているあたり
に三河屋という洋品店が昔ありました。この三
河屋の地尻(裏手)に指物屋がありました。こ
の指物屋を越すと、すぐ旧吉田城の外堀があ
ったわけです。
 以前、市で下水道工事をするとき係の人が
やってきて、外堀の位置を教えてくれというの
で、私は板新道から天王小路まで一緒に歩い
たことがあります。その外堀の線を堀っていく
と、地下は埋立てですから工事は楽に進みま
した。この外堀は呉服町裏から板新道を通り
悟真寺の側面を通って大川へ流れこんでいた
わけです。
 私の記憶では―― うんと昔は広かったと思
いますが、次第に崩れて、最後はほんの溝に
なりました。
 その外堀と大手通りが交わるところに大手門
があって、門を入るとすぐが脇家老だった深井
清華の邸宅がありました。脇家老というのは副
家老のことです。大手門は維新になっても、持
っていきどころもなく、相当長く放ったまま建っ
ていました。


大手門と鉄櫓
「昔はなし」その31 建つていた大手門

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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