2016年08月12日

「昔はなし」その30 勅語を踏んだ校長

勅語を踏んだ校長

 あとで八町の校長になった人で松井鶴五郎
というのがありました。私が学校を出てから太
田成之のところへ漢学を勉強にいく途中で松
井校長に会った。
 「どこへ行くか」と聞くので「太田先生のところ
へ参ります」と答えると「何を習いにいくんだ」
との問いに「漢学を勉強に参ります」というと
「馬鹿になりに行くのか」とまことに侮蔑した態
度でした。私は子供のことで、赤い顔をして、
その場を去りました。
 ところが天長節のおり、この校長が勅語を読
んだとき大へんなことが起こりました。勅語を書
いた紙が、折からの風にヒラヒラと机の上から
舞いだしたので、松井鶴五郎は大あわてで紙
を追ったが、紙はどこまでも舞うので、松井校
長は、勅語の紙を突作に靴でふんまえたので
す。さあ大騒ぎです。校長が勅語を踏みつけた
んですからね。それがもとでは松井校長はお
いとまになりました。
 私など漢学を勉強して馬鹿になったかもしれ
ないが、勅語を足でふみつけるような馬鹿には
どうにかならないですみました。


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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