2016年08月09日

「昔はなし」その27 明治天皇と豊橋

明治天皇と豊橋

 八町学校というのは藩の時習館の剣道々場
が教室に早変りをしたのです。私が八町学校
にいた頃……明治十一年ですか…明治天皇
が京都から東京へ御移りになる御道すがら悟
真寺が陛下の行在所となりました。
 豊橋へお着の時間が午後一時頃だったと思
います。私が外へお出迎えに行こうとすると、
母が珠ずをもっていって拝みなさいよと言った
ことを覚えています。お出迎えしている人はほ
んの二、三十人で、あとの人は、みんな家の
中へはいって戸を閉めて、牛車の通る音を黙
禱しながら聞いていました。まともに拝むのは
恐れ多いという考えからでした。本町通りなど
は始んど戸閉めの状態でした。
 あとで話を聞きましたが、そのとき、白須賀
あたりで、明治天皇様ははじめて海というもの
を見られたということです。あれは何かとお付
のものに聞かれて、海というものだと説明され
たとき、またこの海は外国までつづいていると
教えられたとき、天皇様は「これからは海軍を
充実しなくてはいけないね」と言われたという
話しです。
 この豊橋行幸のおり、先頭の馬上に天皇旗
を持っていたのは後の大山巖元師で、まだ少
尉か中尉の頃と思います。私らは子供ながら、
あの特徴のある大山さんの顔が今もありあり
と目前に浮んできます。


ウィキペディアより
大山巖

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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