2016年08月07日

「昔はなし」その25 豊橋最初のカメラマン

豊橋最初のカメラマン

 昔の人で長尾清江は旧士族出ですが竹ばか
り描いていました。旧士族と言えば深井清華な
どは蓮を描く名人でした。この人は廃藩になる
と豊橋でいちばん最初に写真の技術を身につ
けた人です。明治八年頃です。
 ところが、清華が写真を営業化しようとして
も「写真を撮られると生命が縮まる」という迷信
があって、誰も写真を撮ることを恐がっていま
した。そんな具合で、清華は絵が主で写真は
従のような格構でした。本人としては絵よりも
写真を何とか営業化そうと努力していたよう
です。
 今日、大手門、柳生門などの写真が残され
ているのは、全く深井清華の写真術のおか
げで、文明開花をいち早く豊橋に導入した人
として市民の恩人の一人です。


「郷土豊橋を築いた先覚者たち」より
深井清華

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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