2016年08月05日

「昔はなし」その23 石川鴻斎と味噌

石川鴻斎と味噌

花園町に儒者の石川鴻斎という人がいました。
金持のお大鼓をたたいて歩くという風もありま
した。
その人が東京へ出て立派に門をはるようにな
りました。私の十五、六才の頃です。
 博文館の雑誌などにも筆をとり、支那の大使
館の何如将大使などに教えもうけていました。
石川に世嗣がないので私を息子にくれと言っ
て私の袴まで用意して、私を貰ったつもりでい
ましたが、福谷藤十郎が大反対して私の養子
縁組みはととのいませんでした。
 石川の住んでいた芝に味噌屋があって、店
で味噌をいれる袋の文字を石川に頼みました。
味噌屋が出来上りをとりにいくと醤油の「醤」の
字だけが一文字書いてあるのです。味噌屋が
「先生これじゃ味噌になりません」というと石川
は「いいや、味噌の味噌は真の味噌ではない。
醤が本当の味噌である」と答えたので「それで
も先生、これぢゃ、一般の人が何のことか判り
ません」と味噌屋が当惑して味噌の字を頼ん
だところが石川は「俺は、嘘の字は書けない」
と断って、最後まで味噌とは書かなんだそう
です。


豊橋市美術博物館発行パンフレットより
「郷土画人展  石川鴻斎」

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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