2016年08月01日

「昔はなし」その19 オツペケ音次郎を断る

オツペケ音次郎を断る

 常小屋がこわれると後朝倉座ができました。
つまり東雲座の前身です。朝倉座は長くつづ
きました。雑貨屋かなにかやっていた朝倉とい
う男が造ったんで、その息子と私は学校づれ
でした。
 東雲座の出来たのは明治十七、八年と思う
が、曲尺手の有志と呉服町の有志が、同町
附近の発展のために造ったわけでした。元の
朝倉座を改装したんだから立派になりました。
 当時は千両役者と言えど、役者の宿以外
には他の宿で泊めませんでした。あとで豊橋
座ができたとき、当時の人気者川上音次郎が
やってきて、私の家でも川上の泊りは断りま
した。川上は、芝居の出来るような男ぢゃな
かったが、当時のハイカラ趣味に投じたのと
貞奴の力で、あんなに大したものになったん
でしょう。
 桃中軒雲右衛門が東雲座に来演したとき
は大へんな人気で舞台まで客でうづまりまし
た。雲右衛門を聞かなきゃァ紳士の恥みたい
な騒ぎだったんです。明治二十年頃でした。



昭和11年の東雲座です。
「昔はなし」その19 オツペケ音次郎を断る

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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