2016年07月30日

「昔はなし」その17 手間町の芝居小屋

手間町の芝居小屋

 豊橋に最初に建築された劇場は……もっとも
当時の小屋には名称などはなく、ただ常(じょ
う)小屋と言ってましたが……手間町西光寺の
西にできました。私が生れた頃より二、三十年
前に造られたもののようです。小屋は右側に札
売場があって、正面から出入りしました。間口
も今考えると、十間か十一間あったようですが
汚ない小屋でした。二階もありましたが、女郎
が二階に陣どったものです。
 助高屋高介(初代)はじめ中村芝翫などが
来たことも覚えています。阪東秀調も来ました。
興業は、千両役者を買って打つような勧進元
は豊橋にないので、向うが小屋を借りての手
打ちだったようです。
 役者の市中廻りは「かご」で女形らしく女の
姿で、きれいなものでした。どういうものか、千
両役者はみんな料理人を一人づつ帯同してい
て、宿屋で出す以外のものを、この料理人に
作らせていました。
 芝居はたいてい夜中の三時に開くのです。
花柳界の女たちは十二時から風呂にはいって
化粧などしていると寝るひまは全くありません
でした。当時、日和下駄が流行でして、カラコ
ロと夜中にその音が喧しくございました。明方
には初幕がすんで二幕目にかかる具合で、
お昼飯を小屋ですまして、一時頃にはもうハ
ネて終演となりました。


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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