2016年07月29日

「昔はなし」その16 土屋少将と伏見宮

土屋少将と伏見宮

 福原聯隊長のあとで岡崎出身の土屋光春さ
んが旅団長で来られました。この人は多趣味
な方で、画家、書家、文人を集めて毎月のよう
に会合を開かれました。
 東京などから客がくると、巡業中の力士をつ
れてきて、官舎で相撲を余興にやってみせると
いうような遊びをする人でした。大関の小錦が
招かれた日に、客の中で「相撲は野蕃だ」と一
杯きげんで云うと小錦がビール瓶で殴りつけ
そうになりました。土屋さんも、すっかりあわて
て止めるという一幕もありました。
 伏見の宮が検閲で二十一日間も私方 へお
泊りになったときは、じつに神経が疲れました。
もちろんその間は、一般のお客様はお断りして
のお宿です。
 静岡へはじめお泊りになったので、向うのお
宿を拝見に参りますと、敷布団が五枚になって
いるのにまず驚きました。私の方は三枚のつも
りでしたので、早速二枚追加して五枚の敷布
団ということにいたしました。
 伏見宮貞愛親王さまは料理の巧者な方でし
た。なにしろ砂糖、味淋は使わせない。野菜で
も魚でもできるだけ、その形、その味を失わぬ
ようにということで、細工をしすぎた料理は喰
べられないのです。
 そういう宮さまの二十一日間の朝、昼、晩、
六十余回の献立を重復しないようにつくること
は親爺も私も、苦心しました。器物は京都へ
走ってととのえたものです。いっさいが白生地
というので、骨を折りました。
 書画がお好きだという話なんで、地方の名望
家の秘蔵品を拝借して、毎日それを取換えて
ごらんにいれるのですがこれもまたなかなかの
苦労でした。盆栽がお好きで、御帰京のおりは
豊橋で手に入れられた盆栽でいっぱいで、そ
の中に伏見宮さまが立っていられる格構でし
た。
 ただ、御泊りになっているときは、いっさいが
予定時間通りで、一分と御行動の時間をたが
えさせられぬので、料理などは時間通りに用
意いたせばよいので、この点は楽でござい
ました。




ウィキペディアより
土屋光春

伏見宮貞愛親王

同じカテゴリー(豊橋の昔はなし)の記事画像
「昔はなし」その177 豊川鉄道の開通式
「昔はなし」その163 安藤の豚会社
「昔はなし」その151 三千円で失つた機関庫
「昔はなし」その143 仙十さんの太閤ぶり
「昔はなし」その135 悟真寺の池
「昔はなし」その112 浮世絵と川せり
同じカテゴリー(豊橋の昔はなし)の記事
 「昔はなし」その312 あとがき (2017-05-26 06:00)
 「昔はなし」その311 札木の八日講の御膳所 (2017-05-25 06:00)
 「昔はなし」その310 服部長七の鋭い頭 (2017-05-24 06:00)
 「昔はなし」その309 豊沢団平の三味線 (2017-05-23 06:00)
 「昔はなし」その308 浅吉、高利以上だと嘆く (2017-05-22 06:00)
 「昔はなし」その307 皇太子の料理人の苦労 (2017-05-21 06:00)
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。