2016年07月28日

「昔はなし」その15 豊橋女郎のストライキ

豊橋女郎のストライキ

 明治十六年頃です。いわゆる宿場の飯盛(め
しもり)女が女郎になりました。まだ家のつくり
は昔のままで、奥の方を改造して女郎部屋を
つくりかけました。当時、福井屋のかの子とい
うのが先達でストライキが起ったことがあります。
 かの子はたいへん美人で、なかなかしっか
りものでした。籠の鳥の彼女らが、女郎全部へ
連絡をどういう具合につけたが問題ですが、そ
れは揚屋へ泊って引きあげる朝、どこかの軒
下で、連絡や相談をしたと見えます。
 当時、線香一本たくのに一時間で、線香一本
の時間が十二銭五厘でした。三本を規準にし
て三十七銭五厘がだいたいの遊びで、 一晩
泊ると十本で一円二十五銭とされていました。
 ところが女郎の方から言わせると、この料金
では小使にもこまるし、まして借金が抜ける希
望もない、だから二本三十七銭五厘を十本ぶ
りに値上げしてくれという要求を出したのです。
そして泊りは倍の二円五十銭にせよというん
ですから、たいへんな値上げです。三本だと
八十七銭五厘になりますからね。
 楼主も大弱りで、それでは客が減るからと反
対したのでついにストになったのです。ストで
は商売にならないので、楼主も女郎の要求を
試験的に容れてみたところが、一向、客は減
らないので、値上はそのままになりました。
 あとで街の人々が汽車賃と同じで、高くなっ
ても乗る人は乗る、女郎も乗物の一つだからな
あ………と話あっていたことがあります。


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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