2016年07月27日
「昔はなし」その14 最初の聯隊長
最初の聯隊長
私のことになりますが、明治十三年に二階屋
を新築いたしまして千歳楼もようやく料理屋ら
しくなりました。明治十八年に十八聯隊がで
きました。
その頃の軍人は旧士族が多かったので
軍人と云えば何処の商家でも大もてで「お
金はいつでも結構です」という調子でした。
といって料理屋を飲み倒すような人もいま
せんでした。
最初の聯隊長福原豊功さんなどは一カ
月三十日のうちの二十九日は、殆んど毎
夜、部下をつれて飲みに歩き帰りはいつ
も遅くなるので、人力を呼びます。
どの車も競って飛んできましたが、車は
ずいぶん待たせておくのです。それでも
車夫はいやな顔をしませんでした。 つま
り福原さんは、ポケッ卜にどれだけはい
っていても、それを全部車代として車屋
にわたしていたからです。
ウィキペディアより
福原豊功
私のことになりますが、明治十三年に二階屋
を新築いたしまして千歳楼もようやく料理屋ら
しくなりました。明治十八年に十八聯隊がで
きました。
その頃の軍人は旧士族が多かったので
軍人と云えば何処の商家でも大もてで「お
金はいつでも結構です」という調子でした。
といって料理屋を飲み倒すような人もいま
せんでした。
最初の聯隊長福原豊功さんなどは一カ
月三十日のうちの二十九日は、殆んど毎
夜、部下をつれて飲みに歩き帰りはいつ
も遅くなるので、人力を呼びます。
どの車も競って飛んできましたが、車は
ずいぶん待たせておくのです。それでも
車夫はいやな顔をしませんでした。 つま
り福原さんは、ポケッ卜にどれだけはい
っていても、それを全部車代として車屋
にわたしていたからです。
ウィキペディアより
福原豊功
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし