2016年07月26日

「昔はなし」その13 小さんと千代吉

小さんと千代吉

明治十八年頃の名妓というと、福菱の小さん、
玉屋の千代吉、丁字屋の小ふさ、かぎやの
小ゆうなどです。
 芸はもちろん、品格もよく話題も豊富でした。
これらの名妓は十日や二十日前に口をかけて
も間に合わぬことが多かつたようです。小さん
はひょうきんな妓で、宴会などの席へ出て腹
が減ってくると紋付をはしょおって近所のうど
んやに飛びこんで、釜場にボウ立ちになった
まま、うどんをすすりこんだりしました。座敷
のもどりに露店の寿司屋へはいって、通り
がけの「あんま」を呼びこんで寿司をふるま
ったりしました。というのは「あんま」が寿司
を喰う顔の表情を見るのが面白いからでした。
「あんま」はあとで寿司をおごってくれたのは
小さんというねえさんだと聞くと、小さんの宣
伝をあちこちでしてあるいたものです。小さん
は大手通りなどを歩いていてタキギ売りの
婆さんなどに出会うと、タキギをそっくり買っ
てやるといった侠妓でもありました。
 千代吉は反対に、しまつ屋で評判でした。
当時、御祝儀は現金を、紙につゝみ芸者に
渡すんですが、その御祝儀の紙だって一枚
づつちゃんと蔵っておき、あとで自分で商売
をはじめたとき、三年間は鼻紙は要らなんだ
という話さえあったくらいです。


大正二年 豊橋市登喜和連組合
「昔はなし」その13   小さんと千代吉

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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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