2016年07月23日
「昔はなし」その10 村雨案山子の剣豪ぶり
村雨案山子の剣豪ぶり
百花園の名物男の村雨案山子は旧士族で剣
道が達者でした。無欲淡白な人物で貧乏でし
た。家中に雨がもり、大雨がふると住家の真中
へおいたタライヘはいって「しょうがねえ」なん
て云いながら雨傘をさしていました。
当時はまだ武者修行に歩く人間がいて、漫遊
の剣士が「一つお手合せを」と、村雨の玄関を
訪れると「よろしい」と大刀をさげて出て、さっと
真剣を抜くものだから、たいていの武芸者は
竹刀をかついで逃げだしたものです。
選挙となると、お互いに壮士を雇いいれた
時代で東京からだって随分、大ぜいの壮士
がやってきました。自由党は村雨が一人いれ
ば用が足りて「村雨が来た」という声が聞える
と、どんな壮士でも泡を喰って逃げ出しました。
その村雨は正直いってんの男で、曲がったこ
とは大嫌いで、立派な男でした。
妻君は八十の余まで東田あたりに住んで
いて亡くなったということだけは聞いています。
ウィキペディアより
壮士とは
「郷土豊橋を築いた先覚者たち」より
「村雨案山子とのぶ」
百花園の名物男の村雨案山子は旧士族で剣
道が達者でした。無欲淡白な人物で貧乏でし
た。家中に雨がもり、大雨がふると住家の真中
へおいたタライヘはいって「しょうがねえ」なん
て云いながら雨傘をさしていました。
当時はまだ武者修行に歩く人間がいて、漫遊
の剣士が「一つお手合せを」と、村雨の玄関を
訪れると「よろしい」と大刀をさげて出て、さっと
真剣を抜くものだから、たいていの武芸者は
竹刀をかついで逃げだしたものです。
選挙となると、お互いに壮士を雇いいれた
時代で東京からだって随分、大ぜいの壮士
がやってきました。自由党は村雨が一人いれ
ば用が足りて「村雨が来た」という声が聞える
と、どんな壮士でも泡を喰って逃げ出しました。
その村雨は正直いってんの男で、曲がったこ
とは大嫌いで、立派な男でした。
妻君は八十の余まで東田あたりに住んで
いて亡くなったということだけは聞いています。
ウィキペディアより
壮士とは
「郷土豊橋を築いた先覚者たち」より
「村雨案山子とのぶ」
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)
│豊橋の昔はなし