2016年07月21日

「昔はなし」その8 県令豊橋へ来る

県令豊橋へ来る

 関屋の百花園の名が売れだすと、玉屋という
札木の女郎屋の隠居が――なかなかお茶人
であったので、やはり玉屋という渋い好みの料
理屋をそこへつくりました。さすが客も風流な人
ばかりで、今のように炭坑節でドンチャンやる
客は一人も来ませなんだ。
だから、県令などが地方へ巡視にくると、この
玉屋を休憩所にあてました。
 知事が――当時の県令――東京から赴任
するとき汽車はないので車でやってくるため
勝間田知事などは私の家で昼食をしたことも
あります。知事が巡視のとき玉屋へ案内され
ました。芸者の接待は無礼だというので、当
時月琴という楽器が大流行で上流家庭の娘
たちはみんな習っていた。そこで、この令嬢
らに頼んで飾り船に乗せて大橋からお城下
まで船中で演奏するのを、県令の耳に入れ
る―― といったサービスが行われたこともあ
ります。
 当時 県令などの招宴は、県令だけに御
膳が出て、今でいう市長、署長といった人々
には御膳は出さない。お流れちょうだいでも
あればいただくだけで、ただ県令が飲み、喰
うのをみているだけです。
 その県令が満腹して――帰ると膳が出て
酒が出て「やれやれ」と後からやるわけで、
封建主義というのか、何だか知りませんが、
昔は変った流儀でした。県令がそれだけ威
張っていたわけです。


「昔はなし」その8 県令豊橋へ来る


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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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