2016年07月17日

「昔はなし」その4 電信はバテレン

電信はバテレン

 豊橋に電信がひけた当時は今から思うと馬
鹿げたような話がいくつもありました。あんな
細い線で、遠く離れた人間同志が話をするな
んてことはキリシタンだの、バテレンだなどと、
口悪く罵りつづけたものです。
 朝起きてみると、電線いっぱいにワラ草履
がぶらさげてある。ときには、大きなムシロゴ
ザなど、ぶらさげてあるといったぐあいです。
電信工夫は、この防害のとり除きに毎日豊橋
、二川を往復しなければならない。なかには、
この電線は妖怪が夜中にわたるとか、狐狸の
たぐいが渡っているのを見たとか、困った噂ば
かりでした。
 往来の人でも、電線の下を通るときは、扇
子をひろげて頭の上にかざしながら汚れたも
のを避けるような格好をしたものです。すでに
東京とは電話で話もできた頃ですが、一般人
の電信にたいする知識はそんなものでした。
ハルベキスは三年位は豊橋にいたと思いま
すが、今思い出してもなつかしい人
です。



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Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
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