2016年07月15日

「昔はなし」その2 俳句にこる母親

俳句にこる母親

私の親爺というのは熱田の伊藤萬蔵と云う人
の子息で福谷博士の先々代の藤十郎さんの
世話で長坂家へ養子に来ました。この親爺は、
どういうものか料理が好きで、九つ頃から料
理をおぼえたようです。
熱田のある料理屋の前へ立って、毎日、料理
場をのぞきこんでいるので「そんなに包丁を使
うことが好きなら」というので九つ頃から料理
の稽古をしたと聞いてます。
 母みとはまた、髪結をしながら俳句にこって
いました。この間も古道具屋さんが、これはあ
んたの家のものだろうと、古い短冊をさがしだ
してきてくれたので、おふくろの作った俳句に
久しぶりにお目にかヽつたところです。
     勅題   新年梅として
   初日の出とどくや梅の一、二輪
   初日の出梅の笑いをさそいけり
     勅題   松上鶴として
   巣にこもる鶴あたたかし松の上
 
などの句が昔恋しく書かれてありました。
母は呉井周、佐野蓬宇宗匠の門人で人の髪を
結いながら句作をしていたと見えます。気性の
強い人で、私どもが風邪でもひくと「外を歩いて
きたら治る」としかりつけるような性分でした。


同じカテゴリー(豊橋の昔はなし)の記事画像
「昔はなし」その177 豊川鉄道の開通式
「昔はなし」その163 安藤の豚会社
「昔はなし」その151 三千円で失つた機関庫
「昔はなし」その143 仙十さんの太閤ぶり
「昔はなし」その135 悟真寺の池
「昔はなし」その112 浮世絵と川せり
同じカテゴリー(豊橋の昔はなし)の記事
 「昔はなし」その312 あとがき (2017-05-26 06:00)
 「昔はなし」その311 札木の八日講の御膳所 (2017-05-25 06:00)
 「昔はなし」その310 服部長七の鋭い頭 (2017-05-24 06:00)
 「昔はなし」その309 豊沢団平の三味線 (2017-05-23 06:00)
 「昔はなし」その308 浅吉、高利以上だと嘆く (2017-05-22 06:00)
 「昔はなし」その307 皇太子の料理人の苦労 (2017-05-21 06:00)
Posted by ひimagine at 06:00│Comments(0)豊橋の昔はなし
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。