2016年07月13日
まえがき
まえがき
昭和三十一年の正月から、同三十二年の暮
にかけて、ニヵ年にわたり、豊橋新聞に毎日連
載した小生の「昔はなし」も、七百回という回を
重ねました。
これを一冊にまとめて、後世に残したら、とい
う知己の方々のお勧めもあるとき、幸い豊橋新
聞社と、下重雄氏の厚意で、これを出版して下
さることになりましたので、小生としては面はゆ
いやら、また嬉しくもある次第です。
すべて、記録という記録は戦火で失い、記憶
に浮んでいること語ったのですから、年月や、
名称などに、多少の誤りはあろうかと思います
が、話そのものは、私の八十九年間に眺めて
きたことばかりです。
学者の文献研究とは、もとより、おもむきを
異にするものですが、明治の初年における豊
橋の世相が、この一冊によって、幾分なりと後
々に伝えられるなら、私の本懐とするところです。
昭和三十三年十一月一日 著 者

昭和三十一年の正月から、同三十二年の暮
にかけて、ニヵ年にわたり、豊橋新聞に毎日連
載した小生の「昔はなし」も、七百回という回を
重ねました。
これを一冊にまとめて、後世に残したら、とい
う知己の方々のお勧めもあるとき、幸い豊橋新
聞社と、下重雄氏の厚意で、これを出版して下
さることになりましたので、小生としては面はゆ
いやら、また嬉しくもある次第です。
すべて、記録という記録は戦火で失い、記憶
に浮んでいること語ったのですから、年月や、
名称などに、多少の誤りはあろうかと思います
が、話そのものは、私の八十九年間に眺めて
きたことばかりです。
学者の文献研究とは、もとより、おもむきを
異にするものですが、明治の初年における豊
橋の世相が、この一冊によって、幾分なりと後
々に伝えられるなら、私の本懐とするところです。
昭和三十三年十一月一日 著 者

Posted by ひimagine at 07:56│Comments(0)
│豊橋の昔はなし